愛有らばこそ
id:emifuwaさんのid:emifuwa:20040802#p5の一文、興深く
又最近物語を中々紡げていない身として耳が痛いと苦笑し
つつ拝読致しました。
引用リンクを貼った一文に一言申し添えるならば、萌え
ジャンルからの撤退に関する私的な諸事情を『萎えた』の
一言に収斂し、後の言葉を飲み込んだ方も少なからずお出で
ではないか、と。
さて。
昨今(特に掲示板等HTMLで固定されないと言う前提の場で)
使われる『萎えた』と言う言い回しですが、これは対象への
愛を無くしたと言うよりも一目惚れの相手に興醒めしたと
言う意味合いが強いのではないか、と筆者は感じています。
対象の事を深く知らないでただ衝動的な萌えに突き動かされて
激情に走る。一種の恋ですね。
そこから年月を重ねて対象の事をきちんと知る様になって
愛を成就させ、萌えをゆっくり熟成させる方もお出ででしょう。
愛が成就すると世界観は自然に広がります。
いえ、寧ろ広げたくなるのです。
萌えとは生鮮食品だという思い込みがあったのですが、実際は
程好く熟成させて戴いた方が良いものであった様です。
お約束の効能
やおいBLを観る時には凡そ暗黙の諒解があります。
所謂お約束と言う奴ですね。閲覧は自己責任・他の
カップリングには不干渉・堅気の人に迷惑をかけない
という大きな柱が筆者がこの世界を知り染めた時に
存在していたと思います。明文化されていた訳ではなく、
あくまでも空気として漂っていたのですね。
そのお約束の第2項が崩れ出したのは何時頃からでしたか
…ネットの普及によってやおいを扱う同人サークルの
勢力が更に伸び出した頃ではなかったでしょうか?
ジャンル同士の反目ならばまだ話が朧ろ気にでも判りますが、
ジャンル内で更に細かく反目しあう…そこにジャンルへの
愛があるのかどうかは、余人には知り得ないでしょうね。
お約束と言うのは共通した見解をもつ集団の中でこそ
効能を発揮します。大同小異の集団内でなら、まだ通用
するでしょう。しかし、小同大異と言う見た目だけの
集合体の中では、効能を発揮する所か単に表面を取り繕う
お題目としてでしか作用しますまい。
昨今のお約束とはただひとつ。
『やおいBLとは青少年同士が絡む汗臭くない恋愛ファンタジー』
ではありますまいか?
思わず腰砕け
検索経由でid:puhipuhiさんのid:puhipuhi:20040624の
記事を拝見しました。
BishounenCon*1、ですか……
日本国内のお約束の類も海外に輸出するべきなんですかねぇ。
YAOIやOTAKUが新たなフジヤマゲイシャにならない様に(苦笑)